古代から続く文化の宝庫、クリオンの古代遺跡

クリオンの古代遺跡は地中海に浮かぶキプロス島にあります。クリオンの歴史は古く、古代の歴史学者、ヘロドトスによればペロポネソス半島に勢力を持つアカイア人の植民都市として建設されました。遺跡の発掘では紀元前16世紀から前11世紀中ごろまで長期にわたって続いた都市遺跡があったのです。

出土品も多くは古代の陶器に装飾品が見つかっています。ヘロドトスの記述の通り、アカイア人の植民があった特徴を示しています。この他にもキプロスにミケーネ文明が入っていた影響も出土品として見ることができます。このようにクリオンでは今は無い二つの文明を同時に見ることができる場所なのです。では現在見ることのできるものはどんなものがあるのでしょうか。

<古代ギリシャ、ローマ建築の宝庫>

現在のクリオンに残る遺跡はその多くが古代ギリシャとローマの建築です。そのいくつかをご紹介します

<エウストリオスの家>

個人名のついている家、ですから有力者の邸宅かと思えばなんとローマ時代の公衆浴場ということです。中のつくりもしっかり残っていて浴槽やサウナ、休憩室とローマの風呂文化を伝える遺構です。浴場を彩ったモザイク画もしっかりと残っています。現在は遺構の上に大きな屋根をつけてモザイク画などを日光などの風化から防いでいます。

<ローマ劇場>

ローマの街で必ずある物の一つ、劇場です。海に面して落ち込む岬を利用して劇場を作っています。建設は紀元前2世紀で3500人を収容できる大きさがあり、ステージの向こうに海を見渡すことができるつくりになっています。音楽会や演劇、動物闘技なんかも行われていたそうです。この他にもローマ時代の競技場やアポロ神殿などが残っています。

クリオンはどんな時代においてもキプロス島で重要な場所でした。紀元前12世紀のエジプトの歴史書にもクリオンについて記述があり、紀元前709年にはアッシリア帝国に臣従した証の碑が残っています。その後はエジプト、ペルシャ、プトレマイオス朝と有力な国家を渡り歩き、そしてローマ帝国に併合されます。このころには歴史書にあまり名前が出てこなくなりますが、クリオンの遺跡からは各時代の遺物が多く見つかっていることも考えると需要な都市に違いはないようです。

しかし、4世紀に地震と津波が襲い壊滅的な被害を受けます。その後、都市の再建が行われますが再建には5世紀半ばまでかかりました。7世紀になるとアラブ人が数回侵攻し街を破壊してしまいます。このころからクリオンは都市の機能を失いだし、近くに新しい街が建設されることになり、クリオンは街としての価値を失いました。

<キプロス問題>

そんな古代のロマンにあふれるクリオンの古代遺跡ですが、この遺跡のあるキプロスという国は現在も北と南で分断されているのです。1955年にギリシャ系の地域とトルコ系の地域に分かれてしまい紛争も発生しました。

現在は北と南で交渉をするなど軍事衝突は起きてはいませんが周辺国のトルコやギリシャなどの周辺国や国内の問題もあり、遺跡の修復が遅れています。このような問題が原因となり、過去には観光客も少なかったが現在はキプロスがEUに参加したこともありツアーなどが組まれるようになった。

Copyright(c) 世界中の古代遺跡を巡る旅. All Rights Reserved.