死者が眠る禁忌の領域 モヘンジョダロ

歴史の授業で4大文明、と言えば出てくる名前としてインダス文明があります。その期間は紀元前2600年から紀元前1800年に及び、その間に多くの都市が作られました。現在遺跡として見つかっているだけでも2600に及び、調査が行われた数でも147の遺跡が調査されています。今回はその中でも最大の発見、モヘンジョダロ遺跡をご紹介します。

<名前の由来>

モヘンジョダロは現地の言葉で「死の丘」と呼ばれていました。学者による調査が始まるまでここは古い時代の死者が眠る墳丘として地元民に恐れられ、入ってはいけない禁忌の領域だったのです。そのためこの遺跡がもともとなんという名前だったかはインダス文字が解明中であることもあってわかっていません。

<遺跡の特徴>

モヘンジョダロは東西に二つの丘からなっていて東に市街地、西に城塞が広がっています。現在わかっているだけでもほぼ1.6キロ四方と推定されていますがまだ大きくなる可能差異があります。

東側の市街地は道路が直角に交差していて碁盤の目のように細分化されています。他にも水道設備・排水システム・公衆浴場などがあり水を利用した水利システムも完成していたようです。水の不足を考えて貯水施設もありました。このようにモヘンジョダロは当時としてはかなり整備された街並みが広がっており、最盛期には4万人の人間が暮らしていたのではと考えられます。出土した錘やレンガの統一された大きさから重さなどの基準も統一されていたと考えられます。普通、ここまで整備された都市には強力な権力を持った権力者がいることが予想できますが、今のところ権力者を想像させるものは見つかっていません。

西には城塞があるといいますが、ここからは特に戦争で使われたものは見つかっておらず、あくまでも城塞のように重厚な建造物であるからこう呼ばれています。その内側にはレンガを10m積み上げた人口の基壇を作りその上に30m四方の建物などを建造している。これらは行政に関係する公共的な建造物だと考えられている。この他にも大浴場や穀物倉と呼ばれる建造物跡がありますが現在では宗教的な施設ではないか、と考えられています。城塞がある場所は行政を執り行う場所だけでなく宗教にかかわる施設でもあったようです。

<遺跡発掘による弊害>

1922年にモヘンジョダロは発見されその後多くの発掘調査が行われてきました。しかし、現在その発掘調査によって遺跡に危機が訪れています。この地域一帯で地下水の上昇が確認されています。この地下水は塩分濃度が高く、レンガがこの塩分の多い水分を吸ってしまい塩害が派生しているのです。今まで砂の下に埋まっていたため保存状態は良かったのですが、遺跡発掘によって覆っていた堆積物がなくなり風化を加速させています。建造物の根元が崩れたり、風化してなくなってしまったりするものまであります。四大文明の中心地として名高い遺跡ですが将来見ることができなくなるかもしれません。

このように当時の生活を想像させるさまざまな遺構が残っています。中でも面白いのは地表から飛び出した井戸の存在です。これはモヘンジョダロが何層にも積み重なってできている都市であることが原因なのです。つまり、元々地面に近い位置にあった井戸が埋まるにつれて井戸もそれに合わせて高くする必要があったのです。この遺跡はそれだけ長く人が住み続けた遺跡なのです。インダス文字が解明されておらずまだ謎なことも多いですが、塩害のこともあり、いつまで見ることができるかわからない遺跡です。今見ることができるうちにぜひ見に行くことをお勧めします

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