呪われた寺院?ワット・ラーチャブラナ

タイの遺跡巡りをする人でも,あまり訪れることの少ないワット・ラーチャブラナ。もともとは寺院だったのですが,色々と建築に際してのいわくがあり、アユタヤ王朝歴代の王たちは,呪いの寺院として参拝したがらなかったそうです。では,どんないわくがあるのでしょうか。

<参拝したら早死にする?呪いの寺院>

この寺院は,アユタヤ王朝末期の1424年にクメール王朝を倒した8代目の王ボロムラーチャー2世によって建設されました。豪華なクメール様式が採用されているものの,彫刻はほとんど施されておらず、非常にシンプルな造りとなっています。

この寺院が建設されるきっかけとなったのは、ボロムラーチャー2世の実父であるナコーンイン親王の死後におこった兄弟での王位継承をめぐった争いでした。ボロムラーチャー2世は3兄弟の末っ子だったのですが、父親の死後に上の兄2人が王位継承をめぐって殺し合いをし、2人とも共倒れとなってしまったのです。結果戦いに参加しなかったボロムラーチャー2世が次の王となり、兄たち2人の霊魂を鎮めるために建設したのがワット・ラーチャブラナです。

建設にこうした背景があることから,「最初にこの寺を訪れた王は早死にする」という伝説がまことしやかに語り継がれ、その後の歴代の王たちは誰ひとり足を運ばなかったそうです。実際のところ早死にするかは誰ひとり訪れたことがないため定かではありませんが、歴史上の資料からもこれを裏付けるものはなく、いわゆる都市伝説だったのではないかといわれています。

<ここにも残る、戦争の爪あと>

アユタヤ遺跡全体にいえることですが、ここも1700年代のビルマ軍の攻撃によって,廃墟と呼べるまでに破壊されてしまいました。現在見ることができるのは。仏像があったであろう台座や礼拝堂の壁のみです。さらに敷地内のいたるところに破壊された仏像やがれきが散乱し、攻撃のすさまじさを物語っています。

現在観光客が入れるのは,礼拝堂などの廃墟と仏塔の前室部分です。真ん中あたりまで登ることができ、そこから中にある遺骨が納められていた聖室へも入ることができます。ここは2人の兄たちが眠る場所として非常に手の込んだ造りとなっている上に、クメール王朝を攻略した際にささげられたとされる,数々の品が納められていたそうです。仏像や美術品、宝石類をはじめ100キロをこえる金塊まであったそうで、貴重な遺産として発掘され、現在はチャオ・サン・プラヤー国立博物館に展示されています。また部屋の壁には壁画が描かれたり,金箔が張られたりしており、その様子はエジプトのピラミッドの中のような雰囲気になっています。残っているものはわずかですが,あまり観光客がいない分ゆっくり見ることができますので、じっくり観賞してみてください。

ちなみに,この寺院の仏塔などに採用されているクメール様式は、建設を命じたボロムラーチャー2世が倒したクメール王朝ゆかりのものです。なぜあえてこの様式を取り入れたのかまでは不明ですが、作った職人はおそらく捕虜だったのでしょう。彫刻の中には,クメール文化の中心だったアンコールワットでよく見られる,アバターという女神を模したものもあり、捕虜となりながらもアユタヤには屈しないという強い思いが伝わってきます。パッと見は破壊されつくした廃墟ではありますが、じっくりとひとつひとつ見ていくと新たな発見があるかもしれません。有名なワット・マハタートからほど近い場所にありますので、ぜひ足を伸ばしてみてください。

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