イスラム文化に残るローマの街跡 ヴォルビリス

現在アフリカ側の地中海沿岸にはイスラム文化を中心とする文化圏が広がっています。しかし、今から2000年前まではこの辺りを支配した大帝国がありました。誰もが知っているローマ帝国です。ローマ帝国は分裂しイスラム教の国との争いに敗れ地中海からローマの文化は消え去り、ローマの都市も多くはイスラム文化に取り込まれました。そんな地域にもいまだにローマの名残を残す遺跡があります。その一つ、モロッコのヴォルビリス遺跡をご紹介します。

<ローマの西の拠点だった都市>

ヴォルビリス遺跡はモロッコにある北アフリカの古代ローマ都市の遺跡として保存状態が最良と言われている遺跡でモロッコにあるローマ遺跡としては最大のものになります。古くから人が住んでおり紀元前2世紀にはマウレタニア王国というベルベル人マウリ族の都市がありました。紀元前32年から紀元40年には同国の首都として栄えており、その後はローマの属領の州都となりました。古代ローマにとっては勢力範囲の最も西にある都市だったためか重要な都市でもありました。この辺りは小麦やオリーブオイルを算出した実り豊かな土地で繁栄していましたが3世紀末にはベルベル人の勢力が大きくなり、ローマ帝国がモロッコの大半から撤退。そのころから都市の荒廃が始まります。しばらくの間は人が住み続けたのですが、ローマ人のいなくなった都市は水道橋などのインフラの維持が行われなくなり、住民は水のある川沿いに映りだしたのです。その後4世紀後半に起きた地震によって壊滅的被害を受けてしまいました。

<ヴォルビリスの見どころ>

この遺跡は建造物の状態がよく残っています。当時の街の繁栄を見ることのできるモザイク画の状態はとても良いもので中にはアフリカで見ることのできる動物を描いたモザイク画が残っています。そして古代ローマの都市の遺跡には必ずついてくる公衆浴場もしっかりと残っていました。ローマの神であるユピテルを祀った神殿やカラカラ帝への感謝を捧げた凱旋門。産出品であったオリーブオイルの圧搾施設や小麦を保存したとされる穀物庫などが残っています。この中でも特にカラカラ帝の凱旋門とユピテルの神殿跡は当時の姿をよく残しているので見ものです。

<ヴォルビリスのその後>

4世紀の地震によってこの都市は人が住む場所としてはほぼ放棄されましが、6世紀になると再び人が住むようになります。当時の碑文からこの辺りにキリスト教徒の共同体があったことが分かっています。しかし7世紀になると今この地域にイスラム教が入ってきて681年にはイスラム教徒のアッバース朝の支配下に入ります。さらに789年にはアッバース朝から逃れてきたイドリース1世がここにイドリース朝を建国。現在も観光地として有名なフェズに都市が築かれたことでこの土地の重要性は失われました。18世紀には再び地震による被害を受け、近くにメクネスという町が建設される時にはここに残っていた大理石が建築資材として持ち去られまい、現在に至ります。

この遺跡はローマが作り上げたインフラ技術が機能しなくなった結果、都市としての価値を失ってしまったようです。しかしその結果がこの遺跡を今に残す原因でもあります。元々紀元前3世紀ごろにはカルタゴの施設があったらしく、その上に都市を築いたとされます。もし、ローマ時代の施設がそのまま残っていたらここにはローマの街はなく、その後入ってくるイスラムの街になっていたかもしれません。こういった“もし”を考えるのも歴史のロマンの楽しみですね。

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