古代カルタゴを知る唯一の都市 ケルクアン

<北アフリカにあるチュニジア共和国>

この国の地中海沿岸には、太古の時代にひとつの巨大都市国家が存在していました。「商人の国」とも呼ばれたその国カルタゴは交易により長く栄えてきましたが、商業支配を巡る争いに敗れローマとの争いによって国や都市、人に至るまで全て滅ぼされてしまいました。現在までに古代国家カルタゴ時代のものは、ケルクアンの遺跡を除いては何一つ発見されていません。そのため当時のカルタゴの生活を知る唯一の手がかりとなっています。

<ケルクアンの見どころ>

ケルクアンは発掘調査により紀元前4世紀から3世紀のものであることが分かっています。そんなケルクアンの見どころは、何といっても「古代の街並みをそのまま感じることができるところ」でしょう。街並みといっても建造物と呼べるものが残っているわけではありませんが、当時の家々の土台が残っており街全体にどのような配置で家が並んでいたのかを知ることができ、その状況からこの街が綿密な都市計画に基づき作られたことを物語っています。

各家の土台からは浴室や浴槽の跡なども見られることから、各家には浴室が設けられていたことがわかります。もう1つの見どころは「神殿跡地」と呼ばれる場所です。こちらは正確に神殿があったとは断言できません。しかし大きな柱が列になって並び、その中央の中庭と思われる場所にはモザイクと呼ばれる装飾が床に施されていたことから、この場所が神殿であったという説が有力とされています。また、ケルクアン周辺の岩山には当時の共同墓地も見つかっています。

発見当時はカルタゴ時代のものは何もないと考えられていました。ポエニ戦争によってカルタゴの町のほとんどが破壊、もしくはローマによって再建されてしまったためです。しかし、ケルクアンに残るこの古代都市はカルタゴがローマと地中海の覇権を争った第一次ポエニ戦争の時、早い段階で放棄されたために完全な破壊を逃れたのだと推測されています。そして放棄された後もチュニスのカルタゴ遺跡のようにローマ帝国によって再建されることもなかったことにより当時の街並みがほぼ完全な状態で残ったため、カルタゴ時代の生活を知る貴重な遺跡となったのです。

<カルタゴを建国した「フェニキア人」とは?>

カルタゴを建国したフェニキア人ですが、実はこの名称は民族の呼び名ではありません。彼らはもともと「セム族」という民族であり、その中でも地中海方面での海上貿易に従事していた人たちのことをまとめて「フェニキア人」と呼んでいたそうです。彼らの持つ技術や発明は後の世界に大きな影響を与えました。

その1つである「フェニキア文字」は、もともと外国人に自分たちが扱う商品の名前や地名を伝えるために創られた文字ですが、フェキニアの商人たちによって地中海を跨いで広められて現在のヨーロッパや西アジアで使われている言語の起源となりました。私達がいちばん目にする機会が多いアルファベットの文字は、このフェニキア語がルーツとされています。また非常に優れた海洋技術も持っていたそうで、北極星を発見したのも彼らであるといわれています。紀元前5世紀にはジブラルタル海峡を越えてアフリカ西岸を探検したハンノという人もいます。

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