今は亡き「幻の国家」都市 カルタゴ遺跡

チュニジアの首都チュニスにほど近い場所にある湖、チュニス湖。地中海に近いこの湖の東には遥か昔、古代ローマや古代ギリシャなどと共に地中海の覇権を争った強大な都市国家が存在していました。

カルタゴと呼ばれたその国は西地中海地方を支配し長い間繁栄を続けてきましたが、古代ローマとの長期に渡る戦争の末に滅亡してしまいました。今に残る遺跡からはかつての繁栄を思わせるものは残っていませんが、カルタゴを建国した古代フェニキア人が築いた数少ない都市遺跡として世界遺産にも登録されています。

<カルタゴの英雄、ハンニバル>

カルタゴはローマとの戦争、ポエニ戦争が原因でほろびました。しかし、一歩間違えていればローマがカルタゴに滅ぼされていたかも知れないというほどローマが危機に陥った戦いでした。第一次ポエニ戦争で勝利したローマでしたが、紀元前219年の第二次ポエニ戦争でハンニバルを指揮官にしたカルタゴ軍がイベリア半島から侵攻を始めますし。そのままアルプス山脈を越えてイタリアへと進軍しローマ軍を次々と撃破しカンナエの戦いでは完敗します。これ以降ローマ軍はハンニバルを恐れ、戦わずに持久戦に持ち込みます。

その後ローマはのちにハンニバルのライバルと言われるスキピオ・アフリカヌスを指揮官にハンニバルに攻略されたイベリア半島を奪回。一転して不利になったハンニバルは本国へ戻るも追撃してきたスキピオとザマの戦いで敗北。カルタゴはこの戦いを機に衰退し紀元前149年第三次ポエニ戦争で滅亡しました。その後もローマではハンニバルの名は語り継がれ子供が悪いことをすると「ハンニバルが連れて行ってしまうぞ」といって叱っていたそうです。

<ローマ帝国の遺跡が残る場所>

西地中海の中心都市として栄えたカルタゴですが、現在残っている遺跡にはカルタゴ時代のものはほとんどありません。実はカルタゴ滅亡後、都市はローマによって破壊されました。その破壊は建物だけに留まらず、「草の1本すら生える事を許さない」という意味を込めて塩がまかれるほど徹底されたものだったそうです。

その後、旧カルタゴの地はローマが支配し新しく植民市が造られました。植民は大規模なもので2回行われ、現在カルタゴに残る遺跡の多くはこのローマ植民都市時代のものとなります。しかしながら遺跡の中にはカルタゴ時代のものも僅かに残されており、フェニキア人の生活様式を知る貴重な手がかりのひとつでもあります。

<カルタゴ遺跡の見どころ>

カルタゴ遺跡には古代ローマ帝国時代の遺跡が多く残っていますが、そのローマを象徴する遺跡として「アントニヌスの公共浴場」があります。古代ローマ時代の公共浴場としては3番目に大きな規模をもつこの公共浴場にはかつて温水・冷水風呂、サウナ、トイレ等大小合わせて100以上の部屋が存在しており、内部の復元された柱の大きさからはその施設がいかに巨大なものであったかを伺うことができます。

もう1つの見どころが「円形劇場」です。現在の劇場の形の大半は復元されたものですが、かつては野外劇場として使用されていました。ここでは夏になるとオペラが開催されており、夏の人気観光スポットのひとつとなっています。

カルタゴの遺跡には建造物と呼べるものはほとんど残っていません。それでも多くの人が足を運ぶのは、目の前に広がる地中海と長い歴史を象徴する遺跡がつくる不思議な雰囲気のせいなのかもしれませんね。

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