魔力で動いた!?イースター島のモアイ像

モアイは南米チリ領のイースター島にあります。現地語では「ラパ・ヌイ」、正式名は「パスクア島」と言います。1722年の感謝祭イースターの日にオランダ海軍が発見したため、その名がつけられました。チリの領土と言っても、チリからは4000km離れており、太平洋の真ん中に浮かぶ火山の孤島です。

イースター島の原住民の大半は、18世紀から19世紀にかけてチリ政府の命により奴隷として連れ出されてしまいました。また、現地で天然痘の流行もあり現在はその子孫はほとんど残っていません。そのため、像を何のためにどのように作ったのかについては、今もなお謎のままです。

<1000以上ある像は部族分裂により増え、部族抗争により破壊された>

7世紀ころから石の祭壇が造られていましたが、人間を象った像が造られ始めたのは10世紀ころからと言われています。この国の長の権力の象徴的なものとして造られたものと推定されますが、当初は酋長が一人だったため像も1体でした。島の発展とともに部族が分裂増加し、それに伴って像の数も増えていったと言われています。前部で1000体以上ありますが、新しいものほど数多くあります。

初期の象には足があり人間の形に似ていますが、次第に抽象化し、4世代をかけて、長い顔に長い耳と鼻、くぼんだ眼ととがった顎の奇妙な顔の象になります。現在最も知られているのは、最も後期のモアイ像の形です。

一般に、「モアイ像は海を背に立っている」と言われていますが、海に近いものは海に背を向けて、内陸部の物は方向が一定していません。村の守り神としていたようで、村を取り囲むように立っています。

大きさはまちまちで、高さ2、3mのものから、最大のものは7.8mまでで、重量も80tあります。これだけの巨石を動かして立てるためには大量の木材が必要で、モアイ建設のためヤシの森林の大量伐採が行われたと推定されています。結果として、それが環境破壊につながり、食糧不足と部族間抗争による人口減につながったとも言われます。モアイは部族の守り神のため、抗争の際には真っ先に破壊されたと考えられています。

近年の研究で、未完成で放棄されたモアイ像は、ロープを使って移動させられることがわかりました。ある程度の形を作った後、ロープを使って移動させていたと考えられ、「モアイが歩いた」という伝説は、必ずしも作り話ではないとも言われます。島民は絶滅し守り神の像だけが残った島は、悲しい伝説に彩られた島と言えるでしょう。

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