オリエントを支配した都、ペルセポリス

イランのパールス地方にある、ペルセポリス。アケメネス朝ペルシャの都で、儀式用に建設された宮殿群がありました。紀元前331年に、マケドニアのアレクサンドロス大王がペルシャを滅ぼした際、火をかけてしまったために廃墟となりました。さらに7世紀にはアラブ人が侵入して遺跡を削り取ったため、ひどく荒廃してしまいます。それでも主要な柱跡などが今でも残っており、当時の栄華ははっきりとわかります。

<ペルシャ人の都>

ペルセポリスは「ペルシャ人の都」という意味ですが、現地のイラン人には「タフテ・ジャムシード」と呼ばれています。「ジャムシード」という伝説の王の名前をとっており、「王の玉座」という意味です。

紀元前520年にダレイオス1世が建築を始め、息子のクセルクセス1世によって完成されました。南北400m、東西300m、総面積12万5千平方メートルの人工的な基壇の上に建っています。遺跡に入るには高さ14m、111段の階段を上らなければなりません。階段はひとつずつ石を積み上げたものではなく、一つの岩を5段に削り積み上げたものです。

当時の首都はシューシュにあり、ここは宗教的儀式のための都。即位式や祭儀などの重要な儀式が行われた場所です。

<絢爛豪華な彫刻の都>

大階段を上りきると、正門「クセルクセス門」があります。「万国の門」とも呼ばれ、控室の役割も果たしていました。西のゲートには牡牛像、東のゲートには人面有翼獣神像があり見事なレリーフです。

門を入ると、謁見の間「アパダーナ」。属国の使いとの謁見や新年の祭儀に使われていたといわれています。高さ19mの36本の石柱にレバノン杉の屋根がありましたが、現在は12本の柱が残っているだけです。北と東の階段のレリーフは各国の貢物を緻密に描いており素晴らしい芸術です。

中央には会議用の「中央宮殿」があり、北側の階段わきのレリーフには会議に向かうメディア人やペルシャ人の高官・貴族の様子が掘られています。東には、臣民がダレイオス1世の玉座を支え、その背後にクセルクセス1世が控えるレリーフが描かれています。

ダレイオス1世の宮殿「タチュア」は黒大理石造りで「鏡の間」とも呼ばれており、現在もピカピカに輝いています。最大の広間は「百柱の間」。名前の通り、かつては100本の柱がありました。西側に残る「悪魔と王の闘争像」、南の「玉座の王像」のレリーフはペルセポリスの象徴です。

かつては、世界最大の勢力を有した帝国の栄華を実感できる遺跡、ペルセポリス。是非、訪ねてみたい都です。

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